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父親の視点から考えてみよう

ハイリスクだった受験の思い出

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僕が中学生になった頃、世間は爆発的な塾ブーム
となり、それまでは近所に「くもん」ぐらいしか
なかった街も、あっという間に塾が乱立しました。


クラスの半数以上が塾に入る中、僕は父親の方針で
絶対に通わせない (母親は入れたがっていましたが)
となり、子供ながら不思議に思ったものでした。


塾に通う時間があるなら、そのぶん読書をして
教養を高めなさい… というのが父親の方針です。

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結果として、県下で中の上ぐらいの県立高校に合格
したわけですが、いま考えるとなかなかハイリスク
な受験を経験させてもらいました。


というのも、当時は志望校を決める時の判断基準
となるのが通常の中間テストや期末テストのみで、
学校の先生も日頃の成績表から勘案し、その子が
合格するであろう安全圏の中で候補を絞ります。


僕は勉強熱心ではなかったので、当然ながらテスト
勉強もせず、当時は暇さえあればサッカーの練習に
明け暮れる日々でした。ですので成績も至極当然の
結果で、親を交えた三者面談などでは毎度手厳しい
指摘を受けていたように思います。


いよいよ志望校を決める進路面談で、僕の父親
担任の先生と口論となり、最後は教育指導要項に
まで悪態をついて教室を去っていきました。


帰り道、父親からは県立高校で、県の名前が冠に
付く学校にいくこと(県名に東西南北が付くなど)、
私立のスベリ止め受験は一切認めないことを通達
され、とにかく慌てたことを覚えています。


そこから休日になればマンツーマンで父親から
指導され、平日はそこで習った解き方の復習と、
国立高専の過去問をひたすら解く日々でした。


他の友達と違って、スベリ止め受験も出来ないので
必死でしたし、中学浪人なんてことになれば続ける
つもりだったサッカーも辞めなくてはなりません。


そんなこんなで晴れて合格となり、自宅に電話で
一報を伝えると、母親は泣いて喜びましたから。
※よっぽど心配だったのだと思います。

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僕は小学生だった6年間、英会話スクールに通った
以外は、塾に通わずに学生時代を過ごしましたので
それが良かったのかどうかは分かりません。


ただ確実に云えることは、高校受験レベルで
あれば、わざわざ塾に通わせなくても、両親
の協力があれば大抵、合格できると思います。
(難関私立校の場合は分かりませんが…)


父親が僕に施した指導の一例としては、まずは
国立高専のようにハイレベルな理数系の問題を
好んで出題し、応用力をつけさせることに重点
を置いていました。


理数系の場合、応用力が備わってくると途端に
面白くなってくるのが特徴で、僕の場合も例外
なく「解ける楽しさ」で、夢中になりました。


文系科目については、「おまえなら満点とれるよ」
と常に云われ、自信をつけさせようとしてくれた
ようです。日々の読書から培ったであろう読解力
を、きちんと点数に直結させるため、自ら例題を
作ってくれたりもしました。


いま考えると本当に最短距離で合格させるための
協力を惜しみ無くしてくれたと思います。


(全国高専共通)国立高等専門学校 平成30年度用―6年間スーパー過去問 (声教の高校過去問シリーズ)


実際、担任の先生が提示した複数の高校よりも、
偏差値で表すと優に20以上も上回る高校に合格
しましたので、父親は溜飲を下げたと思います。
※いかに僕が先生から期待されていなかったかはさておき…


もちろん、僕たちの頃とは違って内申点を重視する
推薦枠が増加したり、普通科だけでなく様々な学科
が選択肢としてあるようなので一概に云えません。


ですが、僕も父親に習った勉強法を見習って、
自分の子供に還元できるよう、今のうちから
脳の訓練をしておこうと思っています。


hidechichi


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